ごみ屋敷になるには原因がある
ごみ屋敷に住む人は一見普通に見えても、お宅にうかがってドアを開けようとすると内側に物がたくさんありすぎて開けられないほど物を溜め込んでしまいます。
ごみ屋敷の住人になることなんて自分にはありえない、所詮他人ごとだと思われているでしょう。
しかし、そうなる原因や心理を知ったら、共感できる部分が見つかるかもしれません。
不要でも捨てない
物を大切にすることはすばらしいとされていますが、必要でないものをいつまでも処分できないのは考えものです。
住まいがごみ屋敷になる人の中には、物を捨てられない人、いらなくなった物を他のものにリユースできるのではないかと考えて取っておく人がいます。
例えば、デパートなどの紙袋を取っておく人は、何年も使っていないのに捨てないまま保存しているということがあります。
お菓子の缶なども、なにかを入れられるかもしれないといって溜め込んで、全くリユースしないままになりがちです。
新聞の切れ端など、その情報がいつかは役に立つと考えるのはわかりますが、ごみ屋敷になる人は必要な記事だけを切り抜いてファイリングするのではなく、新聞紙をどんどん積み上げていってしまうのです。
何年も経って再び目にしたとき、必要でなかったにもかかわらず、不要だと判断せずにそのまま放置するので一向に減りません。
一目ぼれでショッピング
書籍や雑誌、洋服など、買う予定がなかったものでも気になったら買ってしまうということはないでしょうか。
その洋服に一目ぼれし、次にお店に行っても売り切れて買えなくなるかもしれないから、この機会を逃したくないと言って経済的に余裕がない状況でも無理をしてでも手に入れるタイプの方がいます。
書籍なども、自分にこれまでなかった新しい発想をもたらしてくれるかもしれない、今の人生を激変してくれる情報が載っているかもしれないと言って、買わずにはいられないという方もいます。
そうやってどんどん買い溜めていき、捨てるということはしないために、家の中は物が山積みみなっていくのです。
異常な物への愛着
物が捨てられない人の中には、物に対して自分の一部が宿っているように錯覚し、愛着が深いことから手放せなくなるというタイプの方がいます。
何十年も前に手に入れ、それから直近の数十年間は触れることすらなかった物だというのに、他の人が処分しようと促すとできないと拒否するのです。
自分の一部がその物と一緒に捨てられると考えるため、通常であればゴミがなくなってスッキリするところを、悲しみに沈むのです。
ごみ屋敷にならない人がその光景を見ると、呆気にとられてしまいます。
使う日がいつか来るだろうから捨てられないという人は、要注意かもしれません。